旅に出よう(国内・自転車旅行)「北海道(その3)」
■ キャンプ場 ■
北海道に入る前は、テントを張るのにキャンプ場を利用したことはなかった。もちろんキャンプ場もいろいろとあったのだろうが、その場所に合わせて走ることはしなかった。よって、テントを張ったのは海岸であったり、河原であったりした。
しかし、どこだったかは良く覚えていないのだが、恐らく北海道ではなかったように思う。陽も沈みかけてきて「早くテントを張るところを探さないと」と少し焦って自転車を漕いでいたのだが、なかなか良い場所が見つからず、完全に陽も沈んでしまった。
ようやく、ちょっとした公園のようなところがあったので、中に入って自転車を停めてテントを張った。そして、夕食の準備に取り掛かった。ほぼワンパターンではあるが、インスタントラーメンである。周りには民家などはなく、辺りは静まり返っていた。「早く沸騰しないかな~」とコッヘルばかりに気をとらわれ、それまであまり気がつかなかったのだが、その公園のような場所の一角に石碑みたいなものが建てられていた。高さは、私の背丈の倍はあった。「何の石碑だろう?」と懐中電灯の光を当てると、「戦没者慰霊碑」などと書いてあるではなか…。
どうも、この手のものには非常に弱く、「霊などは非科学的だ!」と、自信を持って断言できるような私ではない。「まあ、いないとは思うのだけど、科学では解明できないものもあるだろうし…」と非常に中途半端なわけでる。
それで、こんな石碑などを見てしまうと、「ん、今何か物音がしたような…」とビビってしまうのである。それでも空腹には勝てないので、ラーメンの準備をしていたのだが、ふと、手に持ったコッヘルに目をやると、何か白いものが浮かんでいるのである。「うわっ、何だこの白いものは!」と心臓が止まるほど驚いてしまった。それは、私が入れたキャベツだったのだ。小心者はこれだから嫌だ!
そして、北海道入りするまでは、同じところにテントを張って連泊したことはなかったが、屈斜路湖の湖畔にある「池の湯キャンプ場」には、非常に居心地が良かったので3連泊してしまった。
湖畔の芝生の緑もきれいだったが、何と言ってもこのキャンプ場の売りは、湖畔にある温泉に無料で入ることができることである。その無料の温泉は、本当に湖畔にあり、数メートルも歩けば屈斜路湖の水に足を浸けることができるほどであった。
連泊したからと言って、とくにそのキャンプ場をベースにしてどこかに行ったような記憶は全くない。何をすることもなく、のんびりと過ごしてしまった。もしかしたら、屈斜路湖くらいは1周したのかもしれないが、周囲は約20キロなので、1時間もあれば事足りてしまう。唯一、このキャンプ場の難点は、ビールの自動販売機があるところまで自転車で少し漕がなければならなかったことだけである…。
■ アルバム(屈斜路湖まで)■
日記「ちょっとまずいかな~」 [日記]
いや~、最近、「ちょっとまずいかな…」と思っている次第である。それは、上半身と下半身のトレーニングのバランスがかなり崩れてきている。つまり、上半身中心のトレーニングになりがちになっている。
その理由の一つに、「今日は少しダルイかな…」と言う日が続いているのがある。身体がダルイと、特に下半身のトレーニングは、「辛い!」ということで疎かになりがちになる。本当は、それではまずいのだろうが、どうしても敬遠してしまう。
「上半身を支えているのは下半身だからな~」とは分かっているが、なかなか難しいところである。どうしても、上半身の方が露出する機会が多いのでトレーニングにも力が入りがちだが、「原点に戻らなくては…」と思っているが…。
でも、筋トレと有酸素運動の両方を行い、なおかつ、上半身と下半身ををバランス良く鍛えていくのは、身体を動かすことには慣れている私でさえも大変なことだと実感している今日この頃である。
旅に出よう(国内・自転車旅行)「北海道(その2)」 [トピックス]
■ やっぱり北海道は走りやすい! ■
本州を自転車で走っていて、何が一番怖いかと言うと、トラックである。特に、トンネルの中でトラックに追い越されるときは「ひかれるのでは…?」と思ったことが幾度となくあった。
よって、長いトンネルに差し掛かると、その入り口の手前で一旦停まり、後方を「トラックは来ていないだろうな」と確認しなければならない。そして、トラックが来ていないと分かると、一気にトンネルを走り抜けなければならなかった。
アメリカやカナダなどでも、トラックによる自転車のツーリストの死亡事故について何回か聞いたことがある。ただし、トンネル内ではなく、普通の道路で起こる事故だ。道もよく、信号などもなければ、当然、スピードは速くなる。よって、場合によっては、向こうでは高速道路でなくても時速100超えはざらのようだ。
その様なトラックが、自転車で旅をしている人のすぐ横を通ると、風圧で自転車を巻き込むとのことである。何とも恐ろしいことだ。
さて、何度となく怖い思いをした本州に比べたら、北海道はまさに天国である。トンネルは、おそらく海岸線には短いものがあったのかもしれないが、内陸ではほとんど記憶にない。仮に、長さのあるトンネルがあったとしても、しっかりと車道と歩道が区分されたものだったのかもしれない。
それに、北海道の道は、比較的平坦で、上り坂で苦しんだ思いもほとんどない。オートバイで回った時も、その走りやすさは実感したが、今回の自転車の時は、その思いは倍増した。
北海道に入って1週間ほどが過ぎたくらいだったろうか、「今日も天気がいいな!」と自転車を漕いでいると、突然、「パキン」という音が聞こえてきた。最初は「あれ何の音だろう?」とも思いながらも、そのまま漕ぎ続けたのだが、5分もたたないうちにまた同じ音が聞こえてきて、後輪がぐらつき始めた。
すぐに自転車を停め、後輪を見てみると、スポークが何本か折れていたのである。すでに、重い荷物を積んで1万キロ以上は乗っているので、スポークの方も金属疲労を起こしたようだ。さすがに予備のスポークなどは携行していなかったし、仮に持っていたとしても交換する術は持ち合わせていなかったので、少し大きめの町に寄り、自転車屋を探し、交換してもらった次第である。
日記「訪問者数」 [日記]
ウェブサイトを持っている人であれば、日々どれくらいの人が訪れてくれたのかはやはり気になるところである。私も、やはり気になる。
去年の夏くらいまでは、曜日毎の訪問者の推移は一定していた。かなり大雑把な数字にはなるが、例えば月曜日を100とすると、火曜日:120、水曜日:140、木曜日:160、金曜日:90、土曜日:75、そして日曜日は95くらいであった。
つまり、月曜日から少しずつ訪問者数が上がっていって木曜日がピークとなり、金曜日、土曜日と下がり、日曜日には少し回復するというパターンが3年くらいずっと続いていた。もう、そういうものだと思っていた。
しかし、去年の夏過ぎ辺りから、そのパターンが少しずつ崩れてきている。最近では、曜日的には、日曜日や月曜日が一番訪問者が多かったりすることが多い。なぜなんだろう…?
旅に出よう「北海道(その1)」 [日記]
■ 小樽入り ■
さて、困った。大阪の親戚の家の前で伯父と一緒に撮った写真の日付は「7月24日」になっている。親戚の家や大阪の八尾にあり、その八尾から敦賀まではおよそ150kmほどなので、1日で走ることは可能である。もし、当時のフェリーの出航時間も現在と同じように夜中であれば、そんなに朝早く出発しなくても余裕を持って走ることができる。
よって、日付が変わった25日の便に乗れば、その日の夜には小樽に入っているはずである。それで26日の朝から北海道を走ることは可能だ。北海道で最初に撮ったのは宗谷岬のようで、その日付は「7月29日」である。その間の記憶がほとんどない。
フェリーで小樽に到着して北上しているわけだが、どのようなルートを通ったのか全く思い出せない。まあ、「遠回り」などはするようには思えないので、ずっと海岸線を走ったか、その一つ内陸にあるルートを走っているに違いない。最短距離の日本海の海岸線だと350kmなので、3日あれば、北海道の走りやすい道だと余裕を持っていくことができる。
「最北端の地」の宗谷岬の後は、オホーツク海の海岸線に沿い、網走を経由して知床半島を目指している。知床半島を横断した後も、ほぼ海岸線に沿うように根室、釧路と走り、釧路からは北上して北見に向かった。そして、北見からは、「国内バイク・ツーリング」でも訪れた層雲峡を通って内陸部を目指した。
残念ながらラベンダーの時期を外してしまった富良野を訪れ、帯広を経由して太平洋側の海岸線に出ている。その後、再び海岸線に沿って苫小牧を目指して走っている。
そこから北上しているが、札幌まで走ったかどうかは定かでない。アルバムの中には「サッポロビール園」で撮った写真があるので、恵庭市(えにわし)までは確実に走っている。そして、駅で寝泊まりした写真もあり、「もしかしたら、これは札幌駅なのでは?」という気持ちと、「そんな大きな駅に寝泊まりできたであろうか?」という気持ちが交錯している次第である。
いずれにしても、そこから再び海岸線にでて、本州にフェリーで渡るために函館まで下っている。ルート的には不明な部分も多少はあるが、写真には全て日付がついているので、巡っている観光地などの順番には狂いはないはずだ。ただし、「これ、どこで撮ったのだろう?」というものは結構あったりするが…。
日記「左右差」 [日記]
| マシンでもフリーウエイトでもそうだが、筋トレは、左右の手または足など片方ずつ行えるものは、なるべく片方ずつ行うようにしている。もちろん両方一緒に行うよりも時間がかかってしまうが、その理由は、左右差を確認するためである。 私は右利きなので、手にしても足にしても、やはり右側の方が左側よりも1割から2割ほど強い。アームカール、レッグエクステンション、ショルダープレスなどどれを行っても右側の方が左側より、より重いもの、またはより多く回数をこなすことができる。 しかし、唯一、左側が強いものがレッグカールである。前々から「なぜレッグカールは左足の方が強いのだろう?」と不思議に思っていた。レッグカールは太ももの裏側にある筋肉群(ハムストリングス)を鍛えるエクササイズだが、どうも私の場合は、左側のハムストリングスの方が強いみたいだ。その理由は不明である。 ま |
旅に出よう(国内・自転車旅行)「西表島を後にして」 [トピックス]
波照間島から再び西表島に戻って2、3日過ごした。正直言うと、西表島で長居し過ぎてしまった。当初、西表島の滞在予定は1週間ほどであったが、2週間近く滞在してしまった。また、与那国島や波照間島は当初の計画には入っていなかったのかもしれない。
出発前は「富良野でラベンダーを楽しもう!」と計画していたのは覚えている。あまりにも南の島々の居心地が良すぎて、かなりのタイムオーバーとなってしまった。預かってもらっていた荷物を自転車に取り付けて、お世話になったいるもて荘の人たちに挨拶をし、石垣島行きの高速船に再び乗り込んだ。(またいつか行ってみたいな~)
当時のいるもて荘では 「見送りダイブ」というのがあった。つまり、「行ってらっしゃい!」とか「元気でね!」と言って、見送ってくれる人が港の海に飛び込むのである。もちろん「やりたい人」だけで、全員ではない。
今回ではなく、離島へ行くときにも、よく行動を共にした人たちが見送りに来てくれたのだが、その内の3名くらいが「行ってらっしゃい!」と言ってダイブしてくれた。それで、帰島したときに「あのとき大変だったんだから!」と言うのである。
「えっ、大変って?」と話を聞いてみると、飛び込んだのは良いが、全員、「カツオノエボシ」というクラゲに刺されてしまったということである。ある人は手を、そしてある人は唇を…。「ほらっ、見てよ!」と差しだされた手をみると、見事に赤くなって腫れていた。(写真は直接本文とは関係ありません)「うわっ、痛そう~」と言うと、「痛いに決まっているでしょ。ヒリヒリするわ!」との弁。
カツオノエボシは、大きさの方はほんの10㎝程度なのだが、触手が長く、その長さは数メートルに及ぶ。よって、自分の周りに触手だけがある場合はなかなか気づきづらいので非常に厄介である。場合よっては、ショック死する例も報告されているようでだ。
私も、この旅でではないが、ダイビングを終え、水面に上がったところで刺されたことがある。そのときは、当然、ウエットスーツは着用していたが、ちょうとグローブとウエットスーツの間の皮膚が露出しているところを刺された。触手がほんのちょっと触れただけだったのだが、針に刺されてから電気が走ったような刺激があったのを記憶している。
彼らによると、飛び込んでしばらくすると、誰からともなく「痛い!」「痛い!」と叫び出し、飛び込んでいない人にも手伝ってもらって、慌てて海から上がったそうである。私たちのために飛び込んで、非常に辛い思いをさせてしまった。決して、「海ほたるのときに、オレを先頭で歩かせた罰だ!」とは思わなかったが…。
■ 再び大阪へ ■
石垣島からは、フェリーを乗り継いで大阪まで移動している。つまり、「石垣島→沖縄」と「沖縄→大阪」になり、単純に乗船していた時間だけでも50時間近くになる。そして、大阪では再び親戚の家に御厄介になった次第である。(大変お世話になりました)
さあ、次の目的地だが、北上して京都の敦賀へ向かっている。目的は、敦賀からフェリーに乗り北海道の小樽に入るためだ。乗船時間はおよそ20時間となる。
日記「日々雑感」 [日記]
■ 首のトレーニング再開 ■ 4月2日の「まったく、やれやれである…」で書いたが、痛めていた首の痛みも全くなくなったので、首のトレーニングを月曜から再開した。もちろん、無理してもいいことはないので、軽い負荷から様子を見ながら行っているが、同じようにやっていても痛めてしまうときは痛めてしまうので、こればかりは…。
■ あくび ■ 一日に何回か睡魔が襲ってくる。一度、あくびが出ると止まらないのである。必ず何回か「あ~あ~」とやらないと治まらない。父親がそうなので、変なところが遺伝してしまったようだ…。
■ だるい ■ 今週はだるい日が続いている。さすがに昨日は、雨が降っているということもあって、運動に行く気にはなれなかった。ただ、夜の在宅時間が長いと、どうしてもカロリーの摂取量が増えてしまう。「何とかしないと」とは思うのだが、自制心が働かない。困ったものだ…。 |
旅に出よう(国内・自転車旅行)「その他の離島へ(その2)」
与那国島から戻ると、石垣島で、Iさんとは別れの言葉を交わした。恐らく彼は、そのまま実家のある秋田に向かったように記憶している。私の方は、もう少し離島の旅を続けた次第である。
まずは、石垣島の目と鼻の先にある竹富島に渡った。距離的には約6km、高速船で10分ほどである。竹富島は、島のほとんどが隆起サンゴ礁でできていて、ほとんど起伏のない島である。その上、日本最大規模のサンゴ礁で囲まれる島で、まさに「サンゴ尽くし」の島だ。
ここ竹富島でも、ユースホステルにお世話になった。どのような名称だったかは全く思い出せないのだが、ネットで「竹富島、ユースホステル」で検索してみると「ユースホステル高那旅館」が引っかかってくるので、そこだったのかもしれない。
アルバムを繰ると、男性3人と女性1人の写真が貼ってあるので、もしかしたら、その日のユースの宿泊客は4人だったのかもしれない。恐らく、夕食は全員ユースで済ませたはずである。そして、私は夕食を済ませると、特に彼らと親交を深めるようなことはなく、私は、少し近くを散歩に出たたような気がする。
すると、どこからか三味線の音色が聞こえてきた。その音色に誘われるように歩みを進めていくと、集会所のようなところで、老若男女集まって練習していたのである。踊っている人がいたかどうかは記憶にないのだが、しばらく集会所の周りにめぐらされた垣根越しにその音色に聞き入っていた。派手さなどは一切なかったのだが、何とも心が落ち着ける音色で、「南の島にいるんだな~」と言うのを実感した。
人間って、妙に変なことを覚えているものだとつくづく思うのだが、私がユースに戻ると、他の宿泊客の姿はなかった。特に気にすることもなく、床についてしばらくすると「おいおい、大丈夫か?」と言う感じで男性陣が部屋に戻ってきた。すぐに「どこかで杯でも交わしていたのだろう」ということは分かった。
彼らもすぐに床に着いたのだが、その一人が飲み過ぎたせいか、トイレに入って「ゲーゲー」やり始めたのである。それは数時間続き、「あんなにゲーゲーやられたら、眠られねえよ!」と思ったのは、今でもよく覚えている。
竹富島に1泊してから波照間島に移動した。波照間島(はてるまじま)は、西表島の南に位置する島。そして、この島を訪れた理由は、有人島として日本最南端の島だからであった。(沖ノ鳥島は、更にその南に位置するが、そのほとんどがサンゴ礁で、満潮時には島の大部分が海面下となり、かろうじて2つの露岩のみが海面から顔を出しているだけ)また、ガイドブックなどには「日本で南十字星が見れる数少ない場所」などとも書いてある。「南十字星」って何となく響きは良いが、私の場合は、夜空を見てもどれがどれだかさっぱり分からない。つまり、「月以外は、前部、星」なのである。
どうも人間と言うのは、「最~端」と聞くと行ってみたくなってしょうがない生き物である。「なんでそんな端っこが好きなんだろう?」などと思ってしまうが、東西南北という4つの方角の端までたどり着くと、何となく達成感みたいなものが生まれてくるような気がするのであろう。その点に関しては、私も全く同じであった。限られた空間の中で、その隅にたどり着くと「とりあえず行った!」みたいな自己満足があった。
しかし、波照間島までは船で1時間くらのところなのだが、またまた飛行機を利用している。理由は全く分からないのだが、とにかく機体が小さかったことだけは覚えている。乗客は10名ちょっとだったのではないだろうか…。島でどのような行動をしたのかは一切記憶にない。
日記「あれっ、ちょっとお腹が出てきたのでは?」 [日記]
おそらく今年の3月くらいのことだと思う。テレビをつけると、バラエティ番組のようなものをやっていて、ダルビッシュの弟が出演していた。一言一句正確には覚えていないが、彼が言うには「兄貴、とにかく最近よく食べるんですよ。1日、5食も6食も…。よくつきあわされます。」とのことだった。
メジャーに行くにあたり、身長は向こうの選手と比べても遜色ないので、体重を増やして少しでも向こうのプレーヤーの体形に近づけようとしていたに違いない。
さて、昨日、彼はレンジャーズとの試合で5回と1/3を投げて5勝目を上げた。私は野球にはそれほど詳しいくはないのだが、抑えたというよりは、味方の大量得点で勝たせてもらったのかなと思っている。投げている写真などもいろいろなサイトに掲載されているのだが、ある写真をみて「あれっ?」と思った。
ユニフォームを着ているので、もしかしたら私の気のせいかもしれないが「あれっ、ちょっとお腹が出てきたのでは?」という気がしないでもない。手足は細くてもお腹が出ている人はたくさんいる。暴食の影響が出ている可能性もありそうだ。今度会ったら聞いてみよう。






